日常と死

 土日で演劇充(二作だけど)してきたので備忘録。

 たまたまだが、両方とも「日常と死」を描いたもの。

/// 内容知らないと何言ってるかわからない可能性が大。観ることをおすすめするが、前者は公演終了。後者は26日まで。ただし後者は結構忠実に映画化されている。

 

■世田谷シルク「赤い鳥の居る風景」@座・高円寺(10/18)

 「死」が生活の背景に押しやられており、にもかかわらず、わたしたちはそれを利用しているか。

 わたしたちの世界と刑務所とを隔てる壁は、牢獄として、パーティ会場として、テーブルとして現れているのだ。それを飛び越えられそうな「若い女」もブラジルがどうとか言い出すし。登場人物の誰にも希望を見いだせない。

 /// 演出が凝っていて、しかもそれが見事に(異)世界観を生み出している。足場を利用した舞台装置も見事。

五反田団「生きてるものはいないのか」@青山円形劇場(10/19)

 「死」(あるいはその対概念としての「生」)を忘却して生活している普通の人々(たとえばカフェで「孕んだこどもをどうするか」議論する三人)は、不条理的な状況の中で「生きてるもの」を探し求めるんだけど、その人たちもガンガン死んでいく。面白おかしく。

 一方で「死」と向き合っていた病院の少女は「生きてるもの」を求めずに海に向かい、生にしがみつく人間の首を絞める。

 戯画的に描かれる「死」が教えてくれるのは、現代の「物語」がいかに「死」を劇的(!)なものとして描いてきたか。そしてそのことによって、逆にわたしたちを「死」から遠ざけてきたか、ということだ。